うれいなし考

ゴタンダクニオのうれいなし考です

アナログフィーチャー①レギュラーメンバー〈後半〉

前半からの続きです

 

その他
ビンテージネックレス

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防災用ホイッスルがことごとく店頭から姿を消したので困った。部屋をかき回すと、実用ペンダントが出てきた。サバイバル用だろうか。購入時、たしか90年代イギリス製と聞いた。ホイッスルはコツをつかめば ちゃんと鳴り、針が動くタイプのミニコンパスはおおむね北を指す。こういう細かな作りになっているプロダクト、いいよね。しかもビンテージ。アンカーのチャームは、広い海を渡る航海のような人生の中で、たとえ荒波に遭っても揺らがない意思をつなぎ留めてくれるだろうか。お守りに持ち歩こう。

(余談)
このご時世にコンパス?と思われるかもしれない。上京したばかりのころ、曇りの日と新月の夜はよく迷子になった。ガラケーの時代、そして今ほどオンライン地図が発達していなかった時代、太陽や月の方角を見て目的地に向かっていたからだ。鴨川まで出られれば水の流れる方向を見て南北を判断した。碁盤の目構造の街では方角さえわかれば目的地にたどり着けるが、間違えると逆方向に行ってしまう。そして地震は土地勘のない出先で起こるかもしれない。
(余談2)
アトリエゴタンダでもアクセサリーの実用サバ イバルシリーズを作ろうかしら。デザイン考案中です。
こういう屋号でアクセサリー制作・販売しています。

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おやつ

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もし一食抜かすことになったときのため、おやつを入れておくのは有効だ。これからの季節、飴やチョコは溶けやすいので、キャラメル一択。かさばらないし、変形もしない。日持ちに関しても言うことなし。コンビニでも手に入りやすい。
あんまりどことも知れぬメーカーのものは、歯が折れるくらい硬かったりするから、やっぱり森永ミルクキャラメル。大粒とうたったものが出ていたので買ってみた。1.5倍くらいある。言うまでもなく滋養豊富、風味絶佳。
これを入れているいびつながま口は、初めて自作したもの。布はバンドの物販の敷物にも 使っているくらいお気に入りで、大変なときに手元にあればメンバーの顔や自分たちの音楽を思い出させてくれるのではないかと思う。

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http://tubakurame.kyotolog.net/

 

***

 

アナログ万歳みたいなことになったけれど、備えを考えるときはどうしてもそういう発想に行き着く。 端末用の小型バッテリーの残量を常に気に掛けておくのも大切だけれど、そっちのほうが忘れてしまいそう。
そういえばスケジュールは昔から変わらずアナログで、A5サイズの手帳を持ち歩いている。デート用の小さな鞄にさえ、無印のA6リングノートとシグノの黒ペンは忍ばせる。有事の際にアイデアが降ってこないとも限らない。
そろそろ電話帳もアナログ化しておきたいと思う。実家の固定電話と父親の携帯番号くらいしか記憶できていない。

『The Burning House: What Would You Take?』(Foster Huntington)という本があるらしい。火事になったら何を守って逃げるか、というコンセプト。 未読だが、 読み終わったら物欲と向き合えるだろうか。
火事になったら持ち出したいもの、宝物のCDや、稀少本、大切な大切な茶器、アルバム、楽器、大事なデータがつまっているパソコンを、しかしいつも鞄に入れておくわけにはいかない。今回写真にあげたものを加えただけで鞄はパンパンになっちゃうし、わたしの鞄は残念ながら四次元ポケットではないから。

家が焼けないことを祈りつつ、愛着の持てるものを持ち歩こう、大切な人たちからの贈り物は眠らせておくのではなくどんどん使っていこうという話。

アナログフィーチャー①レギュラーメンバー〈前半〉

持ち出し袋や備蓄袋といったものを準備・点検していると、おのずと外出時の備えも気になってくる。
家が崩壊して所持品が全て焼けたら、命は助かっても手元に残るのはそのとき所持していた鞄とその中身だけなのである。愛着が持てる品を持ち足したい。
部屋の中をかき回して、以下を普段の鞄に常備することにした。

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時計
腕時計は手巻き式のもの。ムーブメントが美しい。ベルトは一度付け替えた。
ねじが切れたら止まってしまうが、逆に言うとねじを巻けば半永久的に使えるガジェット。
5、6回巻けば半日以上持つ。巻き忘れに備えて巻きすぎるとねじが切れるので注意。時間を合わせるときは必ず時計回りに動かすこと。作りが繊細ということを念頭に置いて扱うこと。
気付いたときに数回巻くなどしてしのぎ、起床時止まっていたら公共の時計や人に聞いて合わせればよい。
懐中時計は携帯には迷ったが、祖父の形見分けできちんと時計屋さんでメンテナンスしてもらったし、セイコーだから丈夫に作られていると思う。持ち出し袋には入れておこうかな。

(余談)
個人的には恋人がアナログ好きなら贈りたいプレゼントナンバーワン。
女性が着けていると渋い。
ちなみにバーなどでおじさんにモテることがある。スケルトンムーブメントに目を引かれた隣の席のおじさんに『手巻きなんです』と言ったら盛り上がってめっちゃ飲ませてもらえたことがあります。

 

文庫本
言うまでもなくスマホは情報収集及び連絡手段に使いたく、長期待機が強いられた状況でこれ以上の有用な暇つぶしを思いつかなかった。
選本の基準は、

①長いスパンで鞄に入れておくので、一気読みするタイプのおもしろさではない、かつ緊急時にささやかな現実逃避をさせてくれる本であること
②文庫本であること
③繰り返し読みたい本であること。

①が難しいが、家で読まずに眠っている文庫本があればとりあえずそれでよい。
最近尾崎翠というひとの『第七官界彷徨』を読んだ。文章も雰囲気も好きなんだけど難解かつとりとめがなくて読み切るのに長いことかかったので、適していると感じた。
本棚を探して読み切っていないのに気付いた本としては、ヴェルヌの『十五少年漂流記』があった。たしかずいぶん昔に旅の伴として買って、当然おもしろいのだけれど、移動中に読み切れなかったのだった。冒険小説はサバイバル状況下においてちょっとした勇気を与えてくれるかもしれない。
②にこだわったのは実は重要で、単行本では不具合なのである。重量の問題もあるし、愛着の持てる品を常備するという目的において、ブックカバーがその一端を担ってくれる。濫読する人ほど文庫本は消耗品になりがちだが、規格の揃った文庫本であれば同じブックカバーが使えてよい。そういう意味でも新書は該当しにくい。また、新書はノンフィクション・実用系が多いので個人的には楽しく現実逃避しにくい。
③こういう本が手元にあれば好きなだけ時間がつぶせるものです。わたしの場合は村上春樹初期三部作、『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊を巡る冒険』(上下)。どのページからでも読み出せるし、現実逃避的だ。

(余談)
ブックカバーは友人に贈られたもの。この鳥と帽子のデザインは、当時夢中になっていた人を思い出させる。わたしの人生においてかなり影響を与えられた人物であった。
美しい天文図のほうも贈り物で、今は『銀河鉄道の夜』の上にかけてある。
しおりは別の友人が餞別にくれたもの。どうやらわたしのイメージは緑らしい。緑が好きなのでうれしい。
他にもごく最近贈られたカバーとしおりがあって、わたしの趣向を汲んだ素敵なセレクトだった。本は並列して読むということをよくするので、かけたままにしていられるから宝物が増えてうれしい。

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マッチ
人生何が起こるかわからない。突然火が必要になるかもしれない。ふだんからマッチを愛用しているためか、部屋にあるライターはオイルが少なくなってしまったか、ガス欠のものばかりだった。みやげ物屋で買ったマッチは個包装で、多少の防滴なら期待できそうだ。なによりデザインがよい。

(余談)
実用にしているマッチは6個入り100円で売っている、あのツバメや桃や象で有名な兼松デザインのマッチ。カネマツ自体は最近マッチ産業から撤退したというが、デザインは引き継がれているよう。

 

長くなったので後半に続きます。

限界梅仕事

余震に怯え震源地と50kmと離れていない場所で生活・勤務しているまさに今、おかしいのだけど、突如そういう気持ちになって遅い梅仕事をした。

今さら保存食を作りたくなったというよりは、ここ何週間と青梅の時期を逃してしまっていて、今年は諦めるしかないか、と思っていた矢先。きっかけは缶詰などを買い足した日に手に取った氷砂糖1kg。

長期日持ちのする大量の飴、くらいに見えたのだけど、それが地震初日。明日も無事なら遅めの梅シロップを作ろう、と青果コーナーをチェックしながら決意した。調べてみるとやり方を変えれば挑戦してみてもよさそうだ。もうそういう気分になったとしか言いようがない。おれ、この戦争が終わったら梅ソーダをしこたま飲むんだ…。

 

地震後1日経って、どうやら無事だったので、だいぶ熟してしまった南高梅をなぜか2kgも買った。もうそういう勢いだったとしか言いようがない。なので氷砂糖も1袋足した。保存食用として、氷砂糖の横にあったかちわり黒糖を新しく買った。なんだか連日重い買い出しをしている筋肉痛はまだない。

 

帰り道はずっと梅の爽やかなにおいとともにあった。

 

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梅が熟してしまった場合の対策として、凍らせて作るという方法があった。余震に怯えながら丁寧に洗い、余震に怯えながら水気を取る。余震に怯えながら丁寧にへたを取り、余震に怯えながら冷凍室に放り込む。なんだか滑稽だったが、そうせずにはいられなかったのだからしょうがない。明日大地震が起きて、電気の止まった冷凍庫で何者にもなれなかった梅たちが死んでいくと思うと想像するだけで辛かった。けれど、梅シロップができる10日後くらいまでは生きているほうに賭けたのだ。できあがったとても愛おしいシロップを、家で何不自由なく暮らしつつ梅ソーダにして飲んでこましたい。ささやかな目的だけれど大真面目だった。

そういうわけでサッカー観戦はしなかったが、日本が勝利したと嬉しそうにツイートする近畿の人たちを見られたのはとてもよかった。家族のLINEでも同様だった。柄にもなく「愛しているよ」などと送信してあとはせっせとブログを書いていた。

 

梅が完全に凍ったら、煮沸消毒した保存瓶に氷砂糖と交互になるよう詰める。

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あとは毎日瓶をゴソゴソと揺らして、「汁出さないと捨てちまうよ」などと言っていじめるのだが、いじめるのはちょっと可哀そうなのでやめておく。けど発酵なんかしたりしたらほんとに困ったことになるので、やめてね、2㎏も漬けたんだし……ぶつぶつ。

 

去年青梅から作った梅シロップは、最後の瓶の半分を1年近く後になって冷蔵庫から発掘したけれど、何の問題もなく飲めた、ということが先日あった。今年は勝手が違うけれど、なんとかうまいことできあがってほしいと願う。

 

 

 保存食を作るというのは、先人の知恵を受け継いだあかしの生活であり、また繁忙な日常にあってのある種の余裕だ。生活を見直すには遅すぎるけれど、そう思うことで精神の安定をはかりつつ、これから迎えるであろう(無事に迎えることを願う)厳しい夏に向けてのお楽しみとした。

マジで死なない計画のこと

2018年6月18日月曜日 あさ7時58分ごろ、わたしは出勤にむけてお化粧をした手を洗い終えたところだった。

床がぐらついてシンクのへりを掴んだ。
消す前だったテレビで地震速報が流れた。

スマホを掴み、眼鏡をかけ、震源地の確認など事態の把握につとめたあと、バスの時間が迫っていたのと、ひとり暮らしの部屋にいるのが不安で、予定通り鞄とお弁当を持って家を出た。

いま思えば軽いパニックだったかもしれないが、最近は1日充電が持たなくなったスマホのために充電器を掴み、部屋の現金を全て財布に移してから家を出たのだった。
本当なら出口を確保したあとに余震に備えて様子を見るべきだったのだろうと思う。

バス待ちの人がみんな不安そうにスマホを見ていた。

ツイッターのタイムラインで、同じ京都の友人たちが騒いでいるのを尻目に詳しい情報を探る。現場の情報では、ツイッターが一番早いから。スタートダッシュの情報ならデマの疑いも低い。災害情報をフォローしていなかったので手間取った。

LINEもまた飛び交った。ツイッターもLINEも、発言のない友人を把握しておく。

大阪に住んでいる親友と震源地にほど近い場所に住んでいる友人一家が心配で、今送っても迷惑かもしれないと思いつつ、メッセージを送った。親友からはすぐに返事が来た。友人一家は一時間以内に家族無事との連絡をくれたが、想像を絶する恐ろしさだったことを知ったのはあとになってからだった。

バスを降りると出勤前らしい女の子が泣きながら電話していた。

 

京都に来て10年、桓武天皇が都に選んだくらいの場所だから、と高をくくって、より現実に即した準備を怠ってきたのだった。

地震当日は余震がないのにびびりながら仕事をこなし、帰宅途中の業務スーパーとホームセンターで水・缶詰・懐中電灯・電池・小型バッテリーなどを買い、いったん荷物を降ろしてドラッグストアに行くと、そういう目線で見てみれば緊急持ち出し袋に必要そうないろいろが目に入ってそれも買った。アイマスク・耳栓・化粧落とし・水のいらない衛生用品。

部屋にあるいちばん大きなリュックを持ち出し用、旅行用キャリーを備蓄用として荷造りをした。緊急持ち出し袋は避難所に行けるまでの装備と1、2泊程度しのげる準備でよいこと、備蓄用の缶詰などは1年程度の日持ちの安いもので十分で、その代わり定期的に賞味期限をチェックして防災意識を保つこと、などのハウツーなども初めて知った。

備えの足りなさを他人事のように驚きながら準備や部屋の片づけなどで手を動かしているうちはよかった。それが初日。

東日本大震災熊本地震も本震が2日後に来た、ということを思い出させるツイートを見ながら、今日は「備え」ということを考えながら過ごした。

余震・あるいはもっと大きな本震に怯えながら「備え」ている今は、つまるところ「非日常」だ。毎日お風呂に水を貯めるのを習慣とすることは、環境や水道代のことを考えるにつけ現実的とは言い難い。かといって、今この瞬間に大地震があろうとは思ってもいなかったたとえば二日前のような「日常」を続けていたら、遠くない未来に大震災が起こったときに後悔することになるだろう。

日常・非日常という観点から生活を考えてみる。
それでもわれわれは余震に怯えながら非日常を続けることはできないし、自分らしい生活を欠いた状態から復旧したいと誰もが思っている。現に、制作途中であったり執筆途中であったりする作品を脇に置いてしまっているのだ。

実際に家にいられなくなった友人たちの苦労や、一時的に実家に寄るなどして万一に備えている友人たちの不安げなツイート、わざわざ震源地に向かって出勤しなければならない友人たちの憤懣、防災意識の欠いた会社に見切りをつけるツイート…(弊社も緊急体制が穴だらけだったので自分の身は自分で守らねばならぬと決意を固くした今朝だった)こんな精神状況には限界がある。1週間耐えてそのあと気を抜けるという種類の話でもないのだ。こればかりは、実際に被災してみないとわからないし、家の物的被害もなく会社からも最悪歩いて帰れるところに住んでいる自分でさえ、あの揺れを経験した以上はびびってはならないことにはならない。昨日の朝電話口で泣いていた女の子を思い出す。震源地に近いところに大切な人がいたのかもしれない。考えるだけでつらい。
この状況で何ができるだろうか、と考えながら過ごした。というよりも、最悪のことばかり考えていられなくなって現実逃避したというほうが合っているかもしれない。

こんな状態だけど、なにも手につかない今だからこそ、本でも読むか、と思ったのがきっかけだった。

しかし、はたと思い直した。最近時間が取れていないけれど、そもそも読書はライフワークでありたいのだった。

生活とは?明日大震災が起きても後悔しない毎日の作り方とは?
もしくは、余震に怯えながらもメンタルをやられない(=死なない)ためには?

そこであるウェブサイトの存在を思い出したのだった。

「冷凍都市でも死なない」

www.shinanai.com

この企画には以前にも救われたことがある。日々を潤すさまざまなメソッドはもちろんのこと、そのコンセプトに感銘を受けた。これの防災バージョンがほしい。マジで死なないライフハックだ。
そう思ってしまったら早かった。自分を救ってくれるような、生き延びたのちにも災害の備忘録となるような、なにより何も手につかない今なぐさみになることをしたい。今が非日常なら非日常で楽しんでしまいたい。

とりあえず自分のためのささやかな取り組みにしたいので、さんざん迷ったが「~死なない」関連のタグはつけずに始めることにした。
それがゴタンダクニオの「うれいなし考」です。